このページでは枳区で祭られている神様を紹介しています。
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枳の菅原神社
本来「天つ神」(あまつかみといい特定の神様ではない)信仰の対象でしたが、平安時代にあった菅原道真公の悲しい話が「天神さん=道真公」という信仰に代わっていったとされています。
本来、天神とは荒人神、慈悲神、正直の神、学問の神とされていました。
平安時代の人にとって天変地異は道真公の祟りとされており、お祈りによってこれを鎮めようという信仰が全国に広まった際に、阿蘇は火山の噴火や大雨・洪水・冷害などが天や地の神への信仰が強かったので、天神さんがたくさん作られたといわれています。
また天神さんは牛との関係があるので、農村とのつながりも強かったという説があります。
今は無くなりましたが、境内には24メートルを超える公孫樹(イチョウ)や杉の木があったそうです。
秋葉大権現(秋葉大明神)
昔大火のあった地区に、火除けの神として秋葉大権現を辻つじに建て、年に一度しめ縄を張り替えてお祭りしました。
火の用心と火除けの願を立てている。
静岡県の秋葉山に鎮火の神「加具土の神」を祭った秋葉山神社がある。
加具土の神は古事記にも出てくる神様でイザナギとイザナミの間に産まれたといわれています。
お地蔵さん
お地蔵さんはインドのバラモン時代にあがめられ、人々の苦しみを取り除いてくれる菩薩(ぼさつ)さまとして信仰されました。
日本では平安時代から末法思想と結びついて、阿弥陀信仰・浄土信仰と結びつき、貴族から庶民の間に広まったといわれています。
お地蔵さんは、伝説では子どもの姿で人前に出ることから、「子安地蔵」「身代わり地蔵」として信仰されました。
また現世と来世の境に立って守ってくれるとの考えから境神(さかいがみ)として、あちこちに祀られたので、全国各地にたくさんのお地蔵さんが残っています。
阿蘇にお地蔵さんがたくさんある理由は?
- 阿蘇山の大爆発27回
- 風水冷害による不作58回
- 人畜の流行病による死者続出16回
- 気候風土からの低生産力と重い税金
徳川幕府の時代だけで考えても、上のような過酷な環境が日常と隣り合わせの毎日でした。
ご先祖様たちは、このような過酷な条件の中で、大人になる前に死んでしまった子どもたちが、天国で安らかに暮らせるようにとの祈りをこめて、お地蔵さんを建立したといわれています。